記憶の共有は縁の結び目

ライター角田奈穂子の「雑な生活」ほぼ日記

神宮外苑の再開発問題を考える参考サイト<1>

金曜日の深夜にアップした「野球愛が感じられない神宮球場(神宮外苑)の再開発」を多くの方が読んでくださいました。本当にありがとうございます。 

開発規模が大きいことと、問題点が多すぎることから、考える参考になる情報を探してみました。また、あちこちで反対運動が起きているのですが、SNSを活用しているため、情報がばらけた状態になっています。それらをまとめて俯瞰で見られる形にしたほうが、まだご存じない方、理解を深めたい方に役立つのではないかと思いました。

探しながらアップしていく予定です。

 

TBSラジオ荻上チキ・Session」の4月10日放送の特集

www.tbsradio.jp

 

私も聞かなくちゃと思いつつ、バタバタしていてタイムフリーでも聞き逃していたのですが、公式サイトにアーカイブを残してくれてました。神宮球場のシンポジウムで聞いた内容に加え、神宮外苑の歴史、今回の再開発がいつから始まったのか、神宮球場以外に秩父宮ラグビー場の話などもあり、全体像がわかりやすいです。30分ほどの特集ですし、お話が聞きやすいので、超絶おすすめします。

 

◆署名活動

署名サイト「Change」を使って、反対表明ができます。検索したところ、4つありました。

 

今、一番署名が集まっているのが、この募集です。Twitter等でこの問題を広げ、私が参加したシンポジウムも主催したロッシェル・カップさんが発起人です。

www.change.org

 

環境破壊についての署名活動も、もう一つあります。こちらの発起人の方は、私も存じ上げないのでスイマセン。

 

www.change.org

 

神宮球場を中心にした反対署名活動です。『菊とバット』著者のロバート・ホワイティングさんが発起人になっています。

 

www.change.org

 

 

秩父宮ラグビー場を中心にした反対署名活動です。元ラグビー日本代表平尾剛さんが主催者になっています。

www.change.org

 

Changeの署名で注意していただきたいのが、署名後に表示される寄付を求めるメッセージです。

Changeの場合、寄付金は、署名した活動にダイレクトに使われる仕組みになっていません。Changeは運営団体がいまひとつ不明で、データ管理者も米国になっています。寄付金がどのように使われているのか、収支報告書の掲載もありません。プライバシー管理と寄付金の使用について、私自身は疑問を感じています。ただ、現時点で最も有名な署名サイトになっているため、私もいたしかたなく署名をしているという状態です。

利用するメールアドレス(捨てアドにするなど)、寄付については、プライバシーポリシーを読むなど、十分、検討してからの署名なさるのがよろしいかと、老婆心ながらお伝えします。

 

ちなみに2016年にすでに新国立劇場建設で、署名運動が立ち上がっていました。ここにも神宮外苑の自然環境への問題が指摘されています。

www.change.org

 

坂本龍一さんの小池都知事への手紙

坂本龍一さんが亡くなる約1カ月前に、小池都知事に向けて外苑再開発を反対する手紙です。朝日新聞ですが、無料で公開されています。

 

digital.asahi.com

 

追記:今後、神宮再開発の件については、noteのまとめマガジンで情報発信していきます。

 

note.com

 

問題が多方面に渡っているため、情報を俯瞰で見ることも必要です。SNSで流れてしまう情報をまとめるダムがあったほうが、わかりやすいかと思います。次回からはこちらで更新していきます。

野球愛が感じられない神宮球場(神宮外苑)の再開発

 

1000本もの樹木伐採が計画されている神宮外苑の再開発は、自然環境への悪影響が注目を集めていますが、じつは、神宮球場をホームにするヤクルトスワローズのファンはもちろん、野球ファンの全員に関心を持ってもらいたい問題でした。

今、4月14日に開催された「『野球の聖地』伝統ある緑の神宮球場を守ろう!シンポジウム」に出席し、開発計画の不透明さに驚愕して帰ってきたところです。本業モードではなく、単なるオールドスワローズファンとして参加してきたので、誤認があるかもしれませんが、何が問題なのか、まずはシンポジウムで解説された内容をざっくりと紹介します。(誤認や勘違いは気づき次第、修正していきます)

 

1)新球場より、高層ビル建築が先にありきの再開発

神宮外苑の再開発計画については、公式サイトがあり、東京都都市整備局のなかにも説明用のウェブページが作られています。

◆公式サイト

www.jingugaienmachidukuri.jp

 

◆東京都都市整備局

www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp

 

現時点で、神宮球場について触れているのは、この1ページのみです。しかも、ラグビー場、テニス場、室内球技場とまるっとまとめてです。

www.jingugaienmachidukuri.jp

シンポジウムで神宮球場がどう変わるかを主に説明してくださったのは、「神宮球場に想いを寄せる市民の会」共同代表の竹田保久さんです。この記事は、竹田さんの解説を元に書いています。まず最初に竹田さんが話したのが、「(神宮球場の再開発に)野球愛が感じられない」ということでした。

どういう内容をお話しくださったのか、以下に書いていきます。公式サイトに新しい神宮球場のイメージイラストが紹介されていますが、そのまま持ってくるわけにもいかないので、ざっくり真似してみます。

 

 

不動産のイメージイラストは、図面を正確に起こしているわけではないとはいえ、現段階で公開されている状態で見ても、「ないわー」と突っこみたくなる配置です。土地が余ったところに球場置きましたからね、という感じ。

シンポジウムでまず問題視されたのは、次の4点です。

  • バックスクリーンがない?
  • 照明灯がない?
  • ファウルゾーンがない?
  • 外野スタンドがない?

さすがに完成時には、野球場としての機能は備えると思いますが、野球ファーストではない印象はいなめません。小池都知事都民ファーストの会の特別顧問なんですけど、どこの都民のことなんだろ、と思います。

再開発でもっとも注目したいのは、高層ビルに囲まれた球場になるという点です。公式サイトのイラストでは、周囲の高層ビルが薄く描かれているので気づきにくいのですが、球場の空がさえぎられ、ビルがほぼどの視界からも目に入る配置になっています。それもかなり近いです。

1塁側の「事務所棟」は高さ約190mとのこと。建築済みの似たビルを探してみると、「アクティ汐留」がヒットします。

 

www.blue-style.com

3塁側の「複合棟A」は、高さ約185m。「虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー」「シティタワー武蔵小杉」が同じくらいの高さです。

 

www.blue-style.com

ホテルが約60mの高さとのこと。(イラストの位置はずれているかも)。さらには、レフト方向に「文化交流施設・中央広場」というものが作られるらしく、その高さが約80m。25階建ての高層マンションくらいの高さです。

球場全体がビルに囲まれるという設計なのですね。竹田さんは、それによって何が予測できるかも説明されました。

  1. 日陰になる時間が今より長くなる……環境影響評価書によると、青山高校付近(が日陰になる時間は、夏至日において約2時間30分、春・秋分で約1時間50分増加します。イチョウ並木方向では、春・秋分で約30分、冬至日では約3時間30分増加とのこと。
  2. 強いビル風の影響……高さ100m以上の武蔵小杉のタワマン街では、最大瞬間風速15〜20mの風が吹くそうです。体感でいうと、風に向かって歩けなくなり、転倒する人も出るくらいの「強い風」です。
  3. 騒音による周辺への影響……球場が移転することにより、都営住宅との距離が近くなります。以前は160m離れていましたが、80mの距離に。騒音レベルで言うと、58dbから62dbになるのでは、という予想。都営住宅への影響だけでなく、複合棟にホテルも入居する予定らしいので、宿泊客から応援に苦情が来る可能性も否定できません。

この3点から予測できるのは、今までのようにデイゲームを太陽の下で楽しむ時間が減るということ。日陰になる時間帯が増えれば、選手の写真撮影を楽しみにしている人にも影響は出ます。春や秋は気温も下がるので、冷え冷え感が増すでしょう。

強風については、球場の形状がすり鉢状なだけに、どのように風が回るのかわかりません。ボールの行方に影響するのではないか、というプレーへの影響に加え、スワローズファンは、応燕傘が振れなくなるかもしれません。開いたとたんに飛ばされる傘が続出、なんていうシーンがありそうです。岡田さんが草葉の陰で泣いてる姿が目に浮かんでしまいます。

騒音も心配です。今でさえ、都心の球場ということもあり、応援団は騒音に気をつかって応援してきました。おそらく、これだけの建物が周囲を囲むと、花火も打ち上げられなくなるのではないかと思います。

シンポジウムの会場でも、参加者の方から、こんな新球場では、将来、スワローズは神宮から離れて、他の場所に移転してしまうのではないか、という発言がありました。

2)誰のための「スポーツの拠点」にする開発なのか

公式サイトには、「神宮外苑が紡いできたテーマ『みどり』『スポーツ』『歴史・文化』がオープンに、混ざり合い、一体化する」と記載されています。これにも疑問が呈されました。

軟式野球場のかわりにできるのは、高級会員制テニスクラブ……現在、聖徳記念絵画館前にある軟式野球場の部分が再開発され、オープンスペースを中央に両側に屋内・屋外のテニスコートが建設されます。会員制らしいので、一般の人が気軽に利用できる施設にはならなそうです。

軟式野球場がなくなることで、アマチュア野球への影響はどうなるのでしょうか。また、今、広々とした絵画前のスペースが、がっつり建物に囲まれるわけです。竹田さんは、「多くのファンが楽しみにしているスワローズ選手の練習風景も見られなくなるのではないか」と話していました。

3)イチョウ並木への悪影響は?

ただでさえ湾岸地域の高層ビル群の乱立で海風がさえぎられ、ヒートアイランド現象が加速している昨今、都内の樹木が減ることは好ましいことではありません。神宮外苑の貴重な樹木が伐採(都は移植と言い換えてはいますが)されることが、この再開発で大きな問題になっています。

都側は、イチョウ並木は守られると説明しているものの、今日の話では、そうでもないのでは?という疑問がわきます。新しい神宮球場が建設されるのは、イチョウ並木のすぐそば。わずか6m(8mだったかも、記憶がうろ覚えです。でも10m以下)しか離れていないところに建つそうです。

大木の根は地下で広く張っているので、建設時から影響を受けるでしょうし、建設後も、球場に圧迫されるのではないか、という予測がつきます。

4)広域避難所としての安全は確保できるのか

高層ビルが建つことにより、昼間人口の増加は必然です。しかし、これだけ建物が林立し、何もない空間が激減した場所で、災害時に大勢の人達を守ることができるのでしょうか。現在、絵画館前の広場は、軟式野球場になっていることで3.0ha以上、確保されています。ところが、開発後は、屋内テニスコート棟が建つこともあり、中央広場として確保されるのは、約1.5はhaになります。つまり半減するそうです。

今日のシンポジウムを聞いていて、私がもう一つ気になったのは、交通の問題です。私は湾岸地域に事務所があるので、この20年ほどの変化を目の当たりにしているのですが、高層マンションが1棟でも増えると、駅の混雑が目に見えてひどくなります。豊洲駅は、ホームから転落事故が起こるのではないかというほど危険な場所になり、ホームが増設されました。

外苑前の再開発で人が集まるようになれば、駅の混雑も増すでしょう。外苑前駅、表参道、青山一丁目駅信濃町駅国立競技場駅と、人々を分散できる交通網はありますが、歩道がそれほど広くない場所もあることを考えると、都心に残る貴重な広々とした空間を失うことの負の面のほうが気になります。

 

ここまでが神宮球場の移転新築に関する問題点です。その他、いくつか気になったことも付記しておきます。

  1. 神宮球場を建設するとき、東京六大学がかなりの資金を出したとのこと。大学野球の聖地でもありますが、大学側は今回の開発について、どう考えているのでしょうかね。
  2. 歴史を紐解くと、神宮球場はもともと国有地で、太平洋戦争の終戦後、GHQに接収されたそうです。その後、返還されるときに、明治神宮に格安で譲渡されたとのことでした。外苑は国、明治神宮……と地権者が複数いるそうです。
  3. 神宮球場は2016年に耐震工事を完了させています。耐震工事は多額の費用がかかるそうで、この時点では長く使い続ける予定だったのだろうとのこと。にもかかわらず、移転の話が出たのはいつなのでしょう。甲子園球場が100周年記念に動いているのに対し、神宮球場は100周年のときに壊されるという、スワローズファンとしては情けない気持ちで聞きました。狭かったり、古かったりと、選手たちに負担がかかっていることはよく知っていますが、なんとかそこもクリアしての継続はできないのだろうか、と思ってしまいます。

この機会に、神宮球場の球場史も目を通しておこうと思いました。

www.jingu-stadium.com

 

シンポジウムでは、主催者のロッシェル・カップさんが、シカゴにある友人の設計事務所に依頼し、外苑再開発のデータを元に作成した3D映像も公開されました。公式サイトのイラストではわからない、高層ビルの高さと影響が一目でわかります。その映像が流されたとき、会場からは「おおおー」という驚きの声が上がったくらい、衝撃を受けると思います。

近々、この映像は、説明のナレーションを加え、ブラッシュアップした形で公開されるとのこと。ぜひ見てもらいたいと思います。

神宮球場への影響を説明してくださった竹田さんたちの「神宮球場に想いを寄せる市民の会」も、活動が始まって日が浅く、賛同してくれる方を待っているそうです。

最後にロッシェルさんがシンポジウムの閉会メッセージとして語った言葉を書いておきます。記憶から書いているので、大意ですが。

 

今は坂本龍一さんのメッセージもあって、外苑開発に注目が集まっていますが、開発側は、関心が薄れ、人々が忘れ去ることを待っています。忘れないこと、反対し続けることが大切です。そして、一人ひとりが発信して欲しい。それが、「変える力」になります。

 

twitter.com

 

私自身、これまでぼんやりと追っていた外苑再開発でしたが、これからは、公開されているデータ等をがっつり読み込んで、もっと勉強したいと思います。ホントに「レガシー、レガシー」言うてた人たちがやってる再開発って、結局、レガシーぶっ壊しじゃん、と憤慨してます。スワローズ観戦のあと、真っ暗な国立競技場を通ってるのですが、毎回、「ここをぶっ壊して、ラグビー場なり、球場を作ればよかったじゃん」と思っているワタクシなのでした。

 

追記:今後、神宮再開発の件については、noteのまとめマガジンで情報発信していきます。

 

note.com

 

問題が多方面に渡っているため、どれほどの問題なのか、俯瞰で見ることも必要です。SNSで流れてしまう情報をまとめるダムがあったほうが、わかりやすいかと思います。次回からはこちらで更新していきます。

 

 

 

あっという間にゆるゆるのマスク生活

3月13日からマスクの着用が個人の判断に委ねられるようになった。仕事柄、不特定多数の人と会うし、新型コロナ感染症に感染したら、スケジュールにも影響が出るので、そうは言われても、マスク生活を続けようと考えていた。

人は人、自分は自分と思っていたはずなのに、毎日のようにニュースなどで、「それぞれの判断に任せるからね」と聞かされていたせいで、気がつくと、2月頃よりだいぶマスクをかけることへの意識が弱くなっている。玄関から外に出る瞬間に、「マスク、マスク!」と取りに戻ることが増えてしまったのだ。

マスク生活の間は、マスクが汚れるのが嫌で、口紅をつけなかったのだが、最近は、マスクをつけることがわかっているのに、薄い色の口紅をつけるようにもなってしまった。

外出中も室外では外している時間が増えた。あっという間に心のなかにあった制限が取っ払われていることに、驚いている。

マスク生活が嫌だったか、と言われると、そうでもなかった。花粉症などのアレルギー持ちではないので、新型コロナが流行る前はマスクと無縁生活。突然、始まったマスク生活に最初は慣れなかったが、仕方がないと思っていたし、顔が半分近く隠れるというのは、人目につかないような気がして、「精神的に楽」と思っていたくらいだ。

それでも、「しなくてもいいよ」と言われると、こんなに早く心理状態が変わるものなのだ。人は「忘れちゃダメ」という行動制限は負担になるけれど、「忘れてもいいよ」という解放には、スパッと慣れてしまうのである。

つかまえきれないオオタニさん

 

勝戦から10日以上経ち、ペナントレースも始まってるのに、大谷翔平さんのすごさをどう受け止めたらいいのか、考えているワタクシ。とにかくスゴい!のはわかるのだが、どれくらいスゴいのか、自分の脳の収納庫に収まりきらなくて、右往左往している感じなのだ。

WBCの位置づけも収まりどころがなくて、「こういう大会」と整理できていないのも困る。オオタニさんもWBCも教科書的な概要はわかるけれど、体感として腑に落ちてないのだ。

大谷くんにまつわる本や雑誌を読みつつ、あれこれ考えている日々を経て、今までの経験から、コレが一番、近いかも、と思ったのが、テニスプレイヤーのシュテフィ・グラフだった。彼女の全盛期は手がつけられないほど強く、勝敗の結果より、どれくらい短時間で試合が終わるかのほうが話題になったくらいだ。野球界の位置づけでいうと、あのくらいのすごさ?と想像してみたら、なんとなく収まったような気がする。

WBCについては、「LIVE AID」だな、と思った。今ではQUEENのステージがすっかり有名になっているけれど、「LIVE AID」は、イギリスとアメリカにメインステージが用意され、それぞれのステージに人気ミュージシャンが立った。チャリティライブが1980年代では珍しかったこともあって、「ライブの意味がわかってるのかな?単なるフェス的ライブだと思ってるのかな?」というミュージシャンがいたり、イギリスとアメリカを比べると、アメリカのほうがイマイチな演奏が多かったり、という、バラバラ感のあるライブだった。

WBCも国によって熱量の違いがあるし、選手たちのレベルもまちまちだし、という、統一感のなさが、「LIVE AID」の雰囲気と似てるかもなぁと思ったのだ。イギリスステージとアメリカステージの温度差は、日米の違いにも通じるものを感じたし。さまざまな国が集うイベントを継続して盛り上げるには、なかなか時間がかかるものなのだなぁとも思っている。

それにしても、面白い試合だった。日本シリーズも短期決戦でハラハラするのだけど、国によってプレースタイルが日本とは違うこともあって、また別の野球の面白さを教えてもらったと思う。

一つ残念だったのは、中継のうるささ。ライブではTBSとテレ朝で観ていたけれど、あとからAmazon Primeで観たら、Amazonのほうが断然、よかった。ただし、スタジオは解説陣以外は、いらなかった。ラジオの野球中継でおなじみの斉藤一美さんだったので、絶叫もなく(たまに、さすがに興奮してたけど)、星崎智也さんら解説陣と、選手の細かいデータを交えながら実況してくれるのが、「さすがプロ!」と思った。

スポーツ中継が絶叫型になったのは、古舘伊知郎さんの実況が受けてからという話もあるけれど、古館さんがそれをやったのはプロレスだった。誰にでもできる技術ではないし、どのスポーツにも合うわけではない。

視聴者は、広告コピーのような決めゼリフばかりの実況を聞きたいわけではないのだよ。選手データの勉強が足りないと思う。

JスポーツやDAZN、海外のスポーツ中継とか、そのスポーツへの理解が深まる実況と解説の質のいい番組も観られる時代なのだから、地上波の実況スタッフは、もうちょっとお勉強して欲しいと思う。

テロップも多過ぎだった。スポーツ中継は、リアルタイムに試合を見せるだけで十分、訴えるものを持っている。バラエティ番組並みにテロップを画面に出しっぱなしって、どういう意図なんだろう。それくらいしつこく伝えないとわからないと考えているのなら、視聴者をバカにしてるのかな?って思ってしまうのだ。

 

ChatGPTでエゴサーチ

ChatGPTが発表されてすぐに自分の名前を入力して、「誰のこと?」と聞いたら、データがなくて回答なし。今日、やってみたら、どこがどうしてこうなった?というプロフィールが出てきた。どれも合ってない上に、華麗すぎる経歴で、思わず、こっそり使いたくなってしまった。

笑ったけど、「面白い!」と思って、偽情報をブログやSNSに貼り付けてたら、誤ったデータが流布して、出所がわからなくなり、いつの間にか嘘情報が真実のような顔をして広まるということはないんだろうか、という疑問が湧いてきた。短期間であれば、すぐに間違っているとわかるけれど、10年も経つと、その時代を知らない人は、本当の情報と思うかもしれない。そういう偽情報は、どう修正していくんだろう?

紙媒体だけの時代なら、媒体の編集部に責任があるし、編集段階で書き手と編集者、校正さんがチェックするので、間違いが広がりすぎる恐れはないのだけど。

 

〔本日のChat GPTの返事〕

 

Q.角田奈穂子とは?

 

角田奈穂子(かくたなほこ)は、日本の小説家です。1973年生まれで、神奈川県出身です。1997年、短編小説「マッチ売りのピアニスト」で文學界新人賞を受賞し、作家デビューしました。

代表作には、『修羅雪姫』、『海の見える理髪店』、『犬と私の10の約束』、『見えない手』、『蜜蜂と遠雷』などがあります。特に『蜜蜂と遠雷』は、第155回芥川龍之介賞と第157回直木三十五賞のダブル受賞作品として知られています。また、多くの作品が映画化やドラマ化され、角田奈穂子の作品は広く愛されています。

 

Q.つのだなおことは?

つのだなおこ(つのだ なおこ)は、日本の漫画家です。1958年生まれで、愛知県出身です。代表作は、『きりん☆リュ
 
ーション』す。

ふしぎ遊戯』は、1992年から1996年にかけて「少女コミック」誌上で連載され、アニメ化もされた作品で、つのだなおこの代表作のひとつとなっています。『エルフェンリート』は、2002年から2005年にかけて「週刊ヤングジャンプ」誌上で連載され、アニメ化や舞台化もされた作品で、ホラー要素を含むストーリーが話題となりました。『ダンジョン飯』は、2013年から「月刊コミックアライブ」誌上で連載され、RPGの要素を取り入れた異世界ファンタジー作品として人気を博しています

 

 

紙媒体の資産とネットメディア

週刊朝日」が5月末の発行で休刊するというニュースが昨日、流れてきた。版元の朝日新聞出版には、朝日新聞社の出版部門だった頃からお世話になっているので、それなりに内情は見聞きしていたし、予測もしていたけれど、現実になると、やはり寂しさと哀しさで落ち込んでしまった。いくらかでも盛り返せれば、という気持ちで原稿を書いていたこともあるし。

振り返れば、私が関わったことのある雑誌の多くが、すでに休刊している。つきあうようになって数年で休刊した雑誌は諦めもつきやすいが、創刊から長年、関わった雑誌が休刊したときは、1年くらい喪失感が続いた。スケジュールの変化にも慣れなかった。定期的に関わってきた仕事がなくなるというのは、外部スタッフにとっても身を切られるようにつらいのだ。収入減をどう補うかの問題も、頭が痛い。

電車に乗ると、ほぼ全員がスマホを見ていることもあるし、「これじゃあ、紙は売れないよな」とは思う。読者からすれば、Yahoo!ニュースなどのニュースサイトで速報や世の中の動きはチェックできるし、紙媒体がなくなっても困らないと思っている人は多いだろう。でも、紙媒体が衰退すると、ニュースサイトの情報も痩せ細っていくことを、どれだけの人が気づいているのだろうか。

Yahoo!ニュースやLINEニュースが配信する情報は、独自で制作した記事もあるけれど、多くがオールドメディアの出版社や新聞社の記事を転載したものだ。印刷物として発行はせず、Webメディアに移行した媒体もあるが、その場合でも、制作には、紙媒体で取材や編集の経験を積んできた人が多く関わっている。受け取る形が紙でもスマホでも、世に出る情報を支えているのは、紙媒体が長年、培ってきた取材のノウハウや原稿執筆のルール、緻密な編集作業の積み重ねだ。

そして今、情報加工の主力として働いているのは、40~50代。それより以下の世代で紙媒体で経験を積んでいる人は、過去に比べてずっと少ない。30代以下になると、メディアの仕事に初めてたずさわる場所が、Webサイトという人のほうが多いだろう。

2010年代に入り、雑誌の休刊が増えたことで、紙媒体の出身者がWebメディアに転職する一つのピークがあった。ちなみに、その前のピークは、2000年代初めだ。Webサイトで初めて情報加工に関わった人のなかには、紙媒体の出身者にノウハウを教えられた人もいると思う。けれど、Webメディアと紙媒体では、制作の丁寧さ、緻密さがやはり違う。Webメディアは、スピードが勝負なだけに、紙媒体ほど制作に時間はかけられない。だから、時間通りに数多くの情報を発信するために、Twitterのコメントを並べるような記事が多くなってしまう。

また、広告で成り立つWebメディアと、広告収入に頼りながらも「読者による購入」というもう一つの収入源がある紙媒体では、情報の作り方も変わってくる。紙媒体であれば、読者層が絞り込めるので、その読者に合った情報が発信できる。

一方、Webメディアは、閲覧のデータがある程度、取れるとはいえ、紙媒体ほど読者層は限定できない。そうなると、炎上を避けるため、誰にでも好感を持って受け入れられるテーマや記事が多くなる。実際、私が、とあるWebメディアで仕事をしたときには、「どこからも突っこまれない内容にして欲しい」というリクエストを受けた。つまり、当たり障りのない内容に、ということだ。

紙媒体の休刊が続いたせいもあるのだろう。最近は、Yahoo!ニュースに流される記事の玉石混淆ぶりが増しているのではないだろうか。発信元を見ると、誰が作っているのか、よくわからないWebサイトが増えた。タイトルに吊られて私もつい読んでしまうし、暇つぶしにはなるけれど、有益かと考えると、なんとも言えない記事が増えた気がする。

これから発信される情報は、さらに二極化していく。その日、あるいは1週間から半月程度の間に話題になった世の中の動きを伝えるファストニュースの情報と、教養や実用を身につけたり、エンターテインメント的に楽しんだり、さほど速さを求められない情報が生き残ると思う。前者を担うのはネットメディア、後者は書籍だ。

かつてはスピードが重視される新聞とじっくり伝える書籍の間を雑誌がつないでいた。しかし、雑誌が扱ってきた情報は、ネットとの相性がいい。深く掘り下げる内容にまで展開するのであれば、雑誌に軍配が上がるが、結論だけがわかればいいというレベルであれば、短時間で読み切れるネットの文字量で十分だ。そうした情報の性格と、アフィリエイト目的のWebサイト、Youtubeの動画情報に加え、TwitterTikTokなどのネットサービスに読者の時間を奪われたことが、雑誌の衰退につながってしまった。

紙媒体が培ってきた情報加工の資産を使って、ネットメディアが食いつないでいく状態はもう少し続くだろう。その間に雑誌はもっと減るだろうし、ニュースサイトが転載する情報の量と質は、さらに痩せ細っていくのだろうなとも思っている。

いずれネットメディアで育った人たちが新しい媒体の形を作り上げていくとは思う。けれど、その制作現場が紙媒体並みの質と内容を構築するまでには、どれくらい時間がかかるのか。紙媒体の衰退による情報の質と量の痩せ細りが一時的なもので、その後、新しい形で盛り返す時代が来ればいいな、とは願っている。

人の魂は記憶のなかで生き続ける

 

書店をめぐっていたら、『ある行旅死亡人の物語』(共同通信大阪社会部:武田惇志・伊藤亜衣/毎日新聞出版)に目が止まった。ネットで記事が話題になり、読んだ記憶があったことと、どこかの書評で目にして気になっていた本だった。

行旅死亡人(こうりょしぼうにん)」とは法律用語で、病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所などの身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す。共同通信大阪社会部記者の一人、武田記者がネタ探しをするなかで、「行旅死亡人データベース」にアクセスしたことが、物語の発端だ。

そのサイトには、市町村別の死亡人数や市町村の人口に対するランキングがあり、武田記者は「行旅死亡人の所持金ランキング」で1位になっていた女性に目が止まった。兵庫県尼崎市で亡くなった、その女性は約3400万円もの所持金を持っていたからだ。

本書は、この75歳くらいの女性が老後を過ごすのに十分な大金を持っていたにもかかわらず、なぜ安アパートの一室で一人、突然死することになったのか、なぜ近隣や大家ともほとんど接触をすることがなかったのか、なぜ部屋の戸締まりを強固にしていたのか、家族はいなかったのか、出身地はどこなのか、謎ばかりの亡くなるまでの足跡を追っている。

身元がわかるまで続く武田記者と伊藤記者の粘り強い取材と調査の過程は、ミステリー小説を読むような展開が続き、スリリングだ。そして、珍しい名字から身元がわかってからは、謎が解き明かされなかった部分も多々あるのだが、一人の女性が生きてきた証を追体験することになり、死を悼む気持ちがわき上がってくる。

人の生は、周囲の記憶によって支えられている部分も大きい。たとえ看取られることなく、一人で亡くなったとしても、誰かの記憶のなかで生きていることもある。

私は読みながら、東日本大震災で家族や友人を亡くした方たちの話を思い出していた。人の死は、肉体に宿る命の輝きがこの世から消えたときに決まるとは限らない。共に過ごした時間を大切に思う誰かの心のなかで、その魂は生き続ける。

『ある行旅死亡人の物語』の主人公である亡くなった女性も、子ども時代を共に過ごした女性の記憶のなかで生き続けていた。そして、その生きた証を通して、1990年生まれの、亡くなった女性からすれば、孫と言ってもいい世代の若い記者たちが丹念に追い続けたことで、人と人とを思いがけず、結びつけることにもなった。

人は生きている間、死の恐怖から逃れられない。けれど、肉体の死とは違う形の死があることを知ると、今、生きている時間が愛おしく思えてくる。